5.里山の生物多様性

里山には、雑木林だけでなく、田んぼや畑、草地、ため池、水路、屋敷林、竹林など、多様な景観要素がちりばめられているので、モザイク状と表現されることがあります。この景観は自然が織りなす技ではなく、人びとが自然とともに築き上げてきた共同作品といえます。

ヤマを例にとれば、マツやスギやヒノキなどは建材となり、また枯れ葉は燃料になります。クヌギやコナラは薪や炭の原料となるし、落ち葉は堆肥にします。竹林は竹細工の材料になりますし、食用(タケノコ)にもなります。ススキなどの有用な草本植物が生える茅場からは草を採り、屋根を葺く材料のほか、家畜の飼料や敷料(畜舎に敷くもので、家畜の保護、糞尿の吸収等に用いられます)にしました。

一方、ムラを例にとれば、水田からは米が穫れるだけでなく、春の七草として知られるセリやホトケノザ(標準和名:コオニタビラコ)などの雑草を摘んだり、水田で産卵するコイ・フナ・ナマズなどを捕ったりもしました。畑では食料として小麦やイモ、野菜などを収穫しました。ため池からは、農業用水を引くことはもちろん、溜まった泥を肥料にしたり、魚を捕ったりすることもありました。このように、農村に暮らす人びとは、ヤマやノラから恵みを頂いていたので、そうした生活を成り立たせるため、集落の周りにバラエティに富んだ景観をつくったのでした。

しかし、このような里山景観は、今日、大変な勢いで失われています。
ヤマは、薪炭林・農用林としての価値を失ったので、開発されて、住宅地・工場・ゴルフ場等への転換が進められてきました。かりに開発されなくても、人手が入らないために植生が移りかわり、森林の荒廃、ため池や草地の減少、竹林の拡大が進行しています。
ノラでは、過疎高齢化が進んで耕作放棄地が増え、地域景観を悪化させるとともに、防犯・防災上の問題ともなっています。
このように、量と質の両面から、かつての里山の姿は急速に消えつつあるのです。

里山を放置すると、自然の遷移によって藪のような状態になり、明るい環境が少なくなります。こうした変化については、自然の流れにまかせて自然に戻るのだから良いと考える人がいるかもしれません。自然は人間の影響が少なければ少ないほど良いと考えるならば、その通りです。
しかし、生物多様性(biodiversity)を重視する現代の自然保護では、適切な人間の関与が必要な場合があると考えます。むしろ、人間と自然が深くかかわる里山のような領域では、生物の多様性を守るために、人間が自然に対して積極的に働きかけていくべきだと考えられています。

生物多様性とは生命の豊かさを包括的に示す概念で、生態系・種・遺伝子の3つのレベルの多様性で捉えられます。1992年にリオデジャネイロ(ブラジル)で開催された地球サミットで生物多様性条約が採択されてから、地球規模の環境問題を論じる際の重要なキーワードとなっています。

人間が里山とかかわらなくなり、林の環境が変わった結果、姿を消している植物の例としてカタクリ(ユリ科)があります。かつて、カタクリは里山の雑木林に普通に見られた春植物でした。冬の間に葉を落とす落葉樹林に生え、早春に林床まで届く日光を一身に浴びて育ち、林の木々が葉を付けるまでに咲く花です。
しかし、人びとが雑木林に手を入れなくなると、南関東ではシイやカシなどの常緑樹が増え日光が林床(森林の地表面)に届かなくなり、カタクリは土中から出てこなくなってしまいます。このように、林地として残っていても、人間の関与がなくなり、環境の質が変わることで絶滅へと向かっている生きものが存在するのです。