2.高度経済成長期の燃料革命
図1に見られるように、1955年時点では、家庭用燃料の多くは薪や炭であり、化石燃料の中では石炭など(石炭のほかに練炭・豆炭など石炭を原料とした燃料を含む)が利用されていました。それが、1960年頃から電気・ガス・灯油が急速に普及したため、1970年代初頭には、薪や炭はほぼ利用されなくなりました。
この燃料利用の劇的な推移は燃料革命と呼ばれます。およそ十数年間、日数にしてわずか約6,000日の間に、エネルギーの消費構造は根本的に変化したのです。
高度経済成長期に、日本経済は平均10%という未曾有の経済成長を経験し、1966年から68年にかけての3年間で1年ごとに、イギリス、フランス、西ドイツ(当時)の順に抜き、米国に次ぐ経済力を誇るようになりました。
この間の象徴的な出来事として、1964年の新幹線開業と東京オリンピック開催を挙げることができます。産業構造も大きく変化し、1950年には日本人のほぼ2人に1人は一次産業に従事していましたが、1970年には5人に1人以下に激減、一方でサラリーマンとして働く人の割合はほぼ3人に2人に上昇しました。
人びとの生活の利便性は向上し、1950年代半ばから、電化製品の「三種の神器」としてテレビ・冷蔵庫・洗濯機が普及し、1960年代中頃からは、カラーテレビ・クーラー・自家用車の「3C」が普及していきました。
しかし、急速な経済成長は光とともに影ももたらしました。その代表が公害でしょう。4大公害病と呼ばれる水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜん息のほか、各地で公害にともなう健康被害や農作物被害等が発生しました。
これに対して、国は公害対策関連の法律を整備し、環境庁(現:環境省)を発足させるなどして対策に努め、次第に国内の公害は軽減されていきました。
一方で、1980年代半ば以降になると、地球温暖化に代表される環境問題がクローズアップされるようになり、高度経済成長期以降、化石燃料の消費を増加させてきたライフスタイルが問題視されるようになりました。