龍籠山(たつごさん)と地名伝説

昔、ここに雌雄の龍が仲良く暮らしていました。
そこに、西の方から色男の龍がやってきて、三角関係になって大喧嘩になりました。龍が争うとたちまち黒雲が巻き風を呼び、稲妻とともに大雨を降らせました。
そのとき大雨が降ったところが「雨降」、滝のように大水が流れたところが「滝尻」、大風が吹き抜けたところが「風間」といわれています。
また、雌雄の龍が住んでいた穴が「穴川」であるといわれています。


地名の由来

トップページの地図「小松・城北、城山湖の里山体験」で、場所を確かめることができます。

川尻(かわしり)

いくつも説があり、定まっていないようである。
「相模川」説では、山梨方面から見て、川の尻で「川尻」という説がある。
「川」は村内に谷津川・小松川・境川があり、これらの「川」の末から考える説もある。
また、発音をもとに考える説では、「カワジリ」といわずに「カワシリ」ということから、古語で「カワナ」=川畔の土地で、川を見下ろす段丘の意と、「シリ」=アイヌ語で断崖を意味する語との複合語ではないかという語源説がある。

小松(こまつ)

小松川の流域を作る南側の山稜と北側の山稜とに挟まれた地域をいう。
この地域内に「広田」「小野」「松風」がある。

龍籠(たつご)

「たつこ」は木の切り株の意。
タツ・タチは「龍神」、つまり水の神のことで、川を龍に見立ててタツの籠もっている山の意といわれる。

穴川(あながわ)

小松の北部の丘陵の北斜面から「風間」の丘陵の間に挟まれた谷戸と、その開けた農耕地一帯をいう。古語「アナイ」は湿った小さい谷をいう。
この間を小川が流れていることからこの地名が生まれたものか。

風間(かざま)

穴川の北側の丘陵から北東部を流れる境川に挟まれた地域をいう。
関東の方言で「カサマとは上の方とか東方の意である。

滝尻(たきじり)

「風間」から東京都の境までの地域をいう。
この地の西部の山から落ちる「滝」があったからだという説がある。現在東京都側になっているところに「滝」がある。
「尻」は接尾語で「~の後」の意がある。

雨降(あめふらし)

城山地域の最北部の一体で、東京都町田市に接している。
昔この地の奥の山林は大樹が茂り、いつも霧がかかっているような地域であったという。
また、宮本常一の説では「雨降」は「アマフリ」で、朝鮮語のプーリ(集落)の意も考えられるという。

本沢(ほんざわ)

「雨降」から現在城山湖に至る谷戸の一帯をいう。
この谷間を流れる小川と「宝沢」からの流れが境川の源流になっている。
また、この地名が城山湖を作る本沢ダムになっている。

宝沢(ほうざわ)

「雨降」から地蔵様を右に入り、山と山に挟まれた一帯をいい、東京都との境界になっている。
「ホー」は突き出た、秀でたものの意で、傍示には境界などに用いる立札の意がある。アイヌ語では底とか陰門の意がある。

※上記の伝説と地名については、「里地・里山“再発見”~龍が棲まうという伝説の里山」(城山湖里地里山観光振興協議会、2015年)から転載した。


ジゲエ谷戸

自害谷戸。小松城落城のとき、城主一族、武将らが自害したところと伝えられている。

ロクショ谷戸

六社谷戸。小松城にかかわりのある社が6つあったところとも言われている。

オニザワ谷戸

鬼沢。小松城の牢屋があったところと伝えられている。

カナクボ谷戸

江戸時代初期から水田があった(検地帳)。

ドウ谷戸

弁天様のお堂があったところと伝えられている。

バンジ谷戸

城山ふれあい水路。ゲンジボタルの生息地。

カメノコ谷戸

カメノコ(亀の子)山の北側の谷戸。

宮田谷戸

春日神社の社域の水田があったところと伝えられている。

※谷戸の地名については『城山町の地名』(2001年)を参照した。